【丸の内】うずくまる女 No.3/エミリオ・グレコ 他
今回は三菱一号館広場に展示されている3つの作品を観ていこう。
【作品名】うずくまる女 No.3
【作者名】エミリオ・グレコ
【制作年】1971年
イタリアの現代具象彫刻を代表する作家、エミリオ・グレコの作品。グレコといえば夏の思い出という作品に代表されるような伸びやかな女性像が有名だが、ここの作品は身体を縮めてうずくまる女性像だ。うずくまることによって女性的な丸みを帯びた身体のラインが強調され、官能的な印象を受ける。
特に後ろ姿にエロさが溢れている。艶のある背中から「撫でて!」というオーラがほとばしっているのだ。いや、ここはあすなろ抱きのほうがキュンとするかもしれない。なんにせよ開放感あふれる庭園でうずくまる女を放ってはおけない。
しかし彼女の周りは芝生や花壇が取り囲んでおり近づくことができない。かまってほしそうなのに、人が近づくことを許さない神聖な存在。これが本当の神聖かまってちゃんか。
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【作品名】恋人たち
【作者名】バーナード・メドウズ
【制作年】1981年
次はバーナード・メドウズの『恋人たち』という作品。意味ありげなタイトルだが、何を表しているのかは判然としない。イマジネーションを試される作品だ。
近づいて見てみると、堅い金属で出来ているにも関わらず、角の取れたフォルムからはムチムチとした女性的な印象を受ける。これは作者の師匠でもあった現代彫刻の巨匠ヘンリー・ムーアの影響でもある。
そしてテカテカと輝きを放つ金色がいい具合に下品さを醸し出している。下品さと恋人たちというタイトルが相まって、この作品もどこか官能的な匂いを感じる。
官能的だな、と思って改めてよく見るとこの穴とかエロさしかない。
またこの辺りに設置してある美術作品の看板には二次元バーコードが記載されており、ここから音声ガイドを聞くことができる。
この音声ガイド曰く、「穴は目のようにも見え、また鏡のような表面は鑑賞者を映すことから、私たちが作品を鑑賞しているのではなく、作品が私たちを鑑賞しているようにも思える作品」だという。完全にニーチェだ。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
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【作品名】拡散する水
【作者名】アギュスタン・カルデナス
【制作年】1977年
最後はこちらの作品。放出した水を表現した作品ということで、これまでの2つと比べて抽象度合いがさらに増している。
作者のアギュスタン・カルデナスはキューバ生まれの作家で、自身のルーツであるアフリカ原始美術を思わせる作品思考の持ち主だ。原始美術、つまりプリミティブアートとは文明に毒されていない原始時代の壁画や発掘品に影響を受けたアートのことで、高度に発展する文明社会への反発から生まれた芸術思考である。有名なところだとピカソの『アヴィニョンの娘たち』に代表されるキュビズムなんかも原始美術の影響を受けている。
それで改めて見てみると、この作品もどことなくエロティックな雰囲気を感じる。全く角のないフォルムはこれまた女性的だ。水を表現しているのでそうならざるを得ないのだが、なんともいえない艶かしさを感じないだろうか。
というわけで3つの作品を見てきたが、なぜかどれもエロさを感じる作品ばかりであった。どうしてだろうか。
平日は丸の内で働くサラリーマンやOL、休日はショッピングや美術館へ日頃の息抜きに訪れたお客さん、ここにくる人々はみな癒しを求めているはずだ。
癒される空間ということを考えると必然的にエロさを感じる作品になるのかもしれない。エロさとは、つまるところ愛である。愛ほど我々のストレスを軽減し、幸せにしてくれるものはないだろう。3つの作品のおかげで、この広場にいる人たちの脳には愛情ホルモン=オキトキシンがドバドバと分泌されているのだ。
明日からこの広場のことは「愛の広場」と勝手に呼んでいきたい。