街角アート散歩

美術鑑賞と散歩が趣味の一般人がパブリックアートを勝手に語ります。

【六本木】MAMAN/ルイーズ・ブルジョワ

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【作品名】MAMAN(ママン)

【作者名】ルイーズ・ブルジョワ

【制作年】2002年

 

六本木ヒルズヒルサイド2階部分に設置されている巨大な蜘蛛の作品。その大きさと、蜘蛛という得てして気味の悪いモチーフから一度見たら忘れられない作品だ。

 

作者のルイーズ・ブルジョワは1911年パリ生まれのアメリカで活躍した彫刻家である。この巨大な蜘蛛のブロンズ像は1990年代に入ってから制作を始めたシリーズで全世界に9ヶ所に設置されている。なんと80歳頃から新たに取り組んだ作品ということで、作者のアートに対する情熱を強く感じる。

 

 

作品名は「MAMAN

つまりママ、お母さんだ。

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よく見ると身体の中心に卵を抱えており、子どもを守るお母さん蜘蛛であることが分かる。ブルジョワは蜘蛛を「強い生き物」だと語っており、「母」の強さを表現しているのだろう。

 

また、作者は少女時代に父の愛人であった家庭教師から教育を受けるなど普通でない家庭環境で育ったことで心に傷を受け、その傷を癒すためにアートに向き合い続けてきたという。母という存在には人並みならぬ想いがあったに違いない。

 

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長く伸びた脚にも細かい造形が施されている。筋肉の筋のようにも見え、力強く踏ん張っているのだと思えてくる。

 

 

そんな作者の想いが詰まった作品だが、六本木ヒルズのちょうど玄関口に設置されていることもあり、定番の待ち合わせスポットになっていたりもする。待ち合わせスポットといえば渋谷のハチ公や池袋のいけふくろうが思い出されるが、それらの待ち合わせスポットとこのMAMANが大きく違うのは「包容力」である。

 

例えばハチ公という1つの像を「点」とするならば、MAMANは「面」といえる。7本の足が円形の空間を生み出しているからだ。この空間に立つということは、すなわちMAMANという作品の中に身体ごと入り込んだ状態といえる。

 

作品と一体になっている感覚自体もなんだかワクワクして良いのだが、さらに同時に作品の中にいる人たちと仲間になったような一体感も味わえる。(勝手に)

 

たまたま同時にその場所に集った見ず知らずの人々だが、ある一定の空間で区切られてるとそれだけで1つのグループに所属しているような感覚にならないだろうか。

 

だからといって話しかけたり手を振ったりするわけではないのだが、もしMAMANが急に産気づいてお腹に抱える卵を産み落とし始めたら、その場にいるみんなでチームワーク良くキャッチしてあげようという心構えはできている。

 

そんな心持ちにしてくれるのもMAMANの持つ包容力のおかげだろう。こんなに包み込まれる待ち合わせスポットは他にはない。私たちを包み込んでくれるその姿は名実ともにMAMAN=母親なのである。

 

都会の生活に疲れたら六本木の母に会いにいくのもありかもしれない。

【丸の内】うずくまる女 No.3/エミリオ・グレコ 他

今回は三菱一号館広場に展示されている3つの作品を観ていこう。

 

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【作品名】うずくまる女 No.3

【作者名】エミリオ・グレコ

【制作年】1971年

 

 イタリアの現代具象彫刻を代表する作家、エミリオ・グレコの作品。グレコといえば夏の思い出という作品に代表されるような伸びやかな女性像が有名だが、ここの作品は身体を縮めてうずくまる女性像だ。うずくまることによって女性的な丸みを帯びた身体のラインが強調され、官能的な印象を受ける。

 

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特に後ろ姿にエロさが溢れている。艶のある背中から「撫でて!」というオーラがほとばしっているのだ。いや、ここはあすなろ抱きのほうがキュンとするかもしれない。なんにせよ開放感あふれる庭園でうずくまる女を放ってはおけない。

 

しかし彼女の周りは芝生や花壇が取り囲んでおり近づくことができない。かまってほしそうなのに、人が近づくことを許さない神聖な存在。これが本当の神聖かまってちゃんか。

 

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【作品名】恋人たち

【作者名】バーナード・メドウズ

【制作年】1981年

 

 次はバーナード・メドウズの『恋人たち』という作品。意味ありげなタイトルだが、何を表しているのかは判然としない。イマジネーションを試される作品だ。

 

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近づいて見てみると、堅い金属で出来ているにも関わらず、角の取れたフォルムからはムチムチとした女性的な印象を受ける。これは作者の師匠でもあった現代彫刻の巨匠ヘンリー・ムーアの影響でもある。

 

そしてテカテカと輝きを放つ金色がいい具合に下品さを醸し出している。下品さと恋人たちというタイトルが相まって、この作品もどこか官能的な匂いを感じる。

 

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官能的だな、と思って改めてよく見るとこの穴とかエロさしかない。

 

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またこの辺りに設置してある美術作品の看板には二次元バーコードが記載されており、ここから音声ガイドを聞くことができる。

 

この音声ガイド曰く、「穴は目のようにも見え、また鏡のような表面は鑑賞者を映すことから、私たちが作品を鑑賞しているのではなく、作品が私たちを鑑賞しているようにも思える作品」だという。完全にニーチェだ。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 

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【作品名】拡散する水

【作者名】アギュスタン・カルデナス

【制作年】1977年

 

 最後はこちらの作品。放出した水を表現した作品ということで、これまでの2つと比べて抽象度合いがさらに増している。

 

作者のアギュスタン・カルデナスはキューバ生まれの作家で、自身のルーツであるアフリカ原始美術を思わせる作品思考の持ち主だ。原始美術、つまりプリミティブアートとは文明に毒されていない原始時代の壁画や発掘品に影響を受けたアートのことで、高度に発展する文明社会への反発から生まれた芸術思考である。有名なところだとピカソの『アヴィニョンの娘たち』に代表されるキュビズムなんかも原始美術の影響を受けている。

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アヴィニョンの娘たち/パブロ・ピカソ

 

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それで改めて見てみると、この作品もどことなくエロティックな雰囲気を感じる。全く角のないフォルムはこれまた女性的だ。水を表現しているのでそうならざるを得ないのだが、なんともいえない艶かしさを感じないだろうか。

 

 

 

 

というわけで3つの作品を見てきたが、なぜかどれもエロさを感じる作品ばかりであった。どうしてだろうか。

 

平日は丸の内で働くサラリーマンやOL、休日はショッピングや美術館へ日頃の息抜きに訪れたお客さん、ここにくる人々はみな癒しを求めているはずだ。

 

癒される空間ということを考えると必然的にエロさを感じる作品になるのかもしれない。エロさとは、つまるところ愛である。愛ほど我々のストレスを軽減し、幸せにしてくれるものはないだろう。3つの作品のおかげで、この広場にいる人たちの脳には愛情ホルモン=オキトキシンがドバドバと分泌されているのだ。

 

明日からこの広場のことは「愛の広場」と勝手に呼んでいきたい。

【池袋】幸せのリング/宮田亮平

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【作品名】幸せのリング

【作者名】宮田亮平

【制作年】2008年

 

池袋駅副都心線ホームと改札をつなぐ広い踊り場に設置されている作品。

 

踊り場という特に用事のない場所にあることでスルーしがちだが、作者の宮田亮平は日本を代表する金属工芸家で実はけっこう大物だったりする。

 

何を隠そう東京駅の待ち合わせスポットの代名詞「銀の鈴」(4代目)を作った人物なのだ。銀の鈴といえば日本で一番有名な待ち合わせ場所といっても過言でもない。パブリックアートとして待ち合わせ場所になるということは、つまりその街のシンボルになるということなので、限られた作品にしか与えられない栄誉なわけだが、さらにそれが東京駅となればカースト制度でいうバラモン的な、ワンピースでいえば四皇並みの権威がある。

 

そんな人が作った作品ということを知るだけでやたら有り難みが感じられるだろう。

 

 

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作品を見ると複数のイルカ達が波間を泳ぎながらリングを作っている。このイルカを使った作品は宮田の代表作であり「シュプリンゲン(Springen)」シリーズと名付けられている。このシリーズも色々なところにパブリック・アートとして展示されており、三越日本橋新館 エンブレム - Google 検索も彼の作品である。

 

今やイルカのアートといえば老いも若きもラッセンをあげる世の中だが、そこですかさず「んーでもやっぱりイルカといえば宮田亮平だよなー」と言えばかなりのアート通ぶることができる。

 

 金属を使って作られているがイルカ達が軽やかに泳ぐ姿が表現されていて、重い素材とのギャップが面白い。

 

 

またこの作品は副都心線が開通したタイミングで作られ、「出会いの場として、人々が集い、幸せの環が広がりゆく」という願いを込めて作られた作品である。

 

しかし設置されたのはホームと改札をつなぐ広い踊り場である。

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特に踊り場に用事はないので残念ながら出会いの場にはなっていない様子だ。これは作品どうのこうのというわけではなく立地的に仕方ないわけだが、日本を代表する出会いの場になっている銀の鈴と比べると、そのコントラストがおかしくもある。

 

 

せっかく広いスペースがあるんだからちょっとした立ち飲みができるスペース「踊りBar」でもつくって、本当に出会いの場にしてしまってはどうだろうか。

このブログについて

街を歩いていると大きなビルの敷地の一角や駅の中、公園など色々な所にアート作品が設置されている。このような公共空間(パブリック・スペース)に置かれたアートを「パブリック・アート」と呼ぶ。

 

多くのパブリック・アートにはタイトルと作者名くらいしか添えられておらず、作品自体の説明やなぜそこに設置されたのかという解説は書かれていないことが多い。

 

そんなわけで、パブリック・アートはよく分からないものも少なくない。そこにあることは知っていても意味が分からないからよく見たことはない、あるいは馴染みすぎてアート作品だとは認識していなかった、なんてことも多いだろう。

 

しかし、「よく分からない」からこそ楽しめるとも言える。明確な答えが用意されているわけではないので自由に作品を解釈してよいのだ。このブログでは勝手に作品を楽しんでいきたい。僕は美術の専門家でも評論家でもなく、ただのいち美術好きなので学術的なことは分からない。ただその作品を創ったアーティストのことなど、知っているともっと作品を楽しめることは調べて鑑賞の材料としたい。

 

パブリック・アートを好き勝手に楽しめるようになれば、いつもの街がもっと面白くなる。このブログがいつもの日常を、何気ない街歩きを楽しむための一助となれば幸いだ。